スーパーマリオ3Dワールドのゲームデザインの記事から、重要なポイントを伝えます!

こんにちわ。「任天堂の社員だった人」こと管理人のはちくです。

先日、GIGAZINEに

「スーパーマリオ3Dワールド」に学ぶ「起承転結」を取り入れたゲームデザインがよくわかるムービー

という、記事が上がってました。

スーパーマリオ3Dワールドは仕事で携わったこともあり思い入れ深いものだったので、大変興味深い記事と動画でした。
3d_mario

せっかくなので、私もこのテーマに関連して書いてみたいと思います。

 

教育、基本、発展、転調

動画中では、林田さんが「起承転結」という言葉を使って説明していますが、外国人受けがいい言葉を持ってきたかなと思います。
日本人からすると「教育、基本、発展、転調」で表したほうがスッキリ理解できるはず。

 

ダメソフトの共通点

概ねダメなゲームデザイン(≒レベルデザイン)というのは、

・不十分な「教育」

・急峻(しゅうしゅん)な発展と転調

この2つに集約されると思います。

どちらもいわゆる「レベルデザイン」に終着する話ではあります。
イマイチなソフトというのは、必ずこのどちらかが欠けているなぁと実感してます。

 

「不十分」とは何か。

私が思う「不十分」の定義は、教育段階を卒業したユーザーが、敵や障害に直面したときに「できそう」と思うかどうかです。

 

ユーザーが「できそう!」に至るまでには、

・敵・コースギミックの動作パターン

・敵の攻略法や攻略経験

の理解が必要だと考えます。

この部分を十分手厚く設けておかないと、ゲームを進めるうちに「つまづき」が発生してしまうのです。

「発展」や「転調」段階においても同様な事が言え、「基本」を積んだユーザーの経験の中から「できそうなレベル」で難易度を設定しておかないと、ユーザーの「ゲームをしたい」という気持ちが離れていき、プレイを辞めてしまいます。

それを防ぐためには、「発展」に段階をつけるとか、「再教育」を設けてみる必要がありますね。

昔のソフトでは、その部分のケアが少なく死んで覚える「死にゲー」と呼んで片付けていました。時代的に、それでもOKだったわけです。
マリオがなぜ死にゲーと呼ばれることが無いかというと、こういう配慮しているからですね。 

 

十分な教育は何をもたらすか?

ユーザーが

「敵の倒し方やコースの進め方をわかっているのに、イメージ通りの操作ができなかった」

「ミスをしたのは自分だと思い、またチャレンジする気持ちを掻き立てる」

という心理を利用して、ゲームに熱中させていくのです。

逆に「これはゲームが難しすぎる」と思い始めたら、一気にやる気を無くしプレイを継続してもらえなくなります。

 

ゲームを作る上で大事なのは新しい敵や障害が登場したとき、「倒せそう」「先に進めそう」という気持ちを持たせることが本当に大切だと思います。

シロウトが作ったマリオメーカー動画を見てると、敵やコースギミックをわんさかてんこ盛りにしてます。
これでは、お客さんに「攻略できるわけがない」と思われてしまい、プレイを続けてくれませんね。

この考え方の違いこそが、職業としてゲームを創っているかの違いだと思います。

 

管理人はちく(@hachiku_89)のまとめ

マリオというゲームは、「敵」と「コース」の組み合わせを難関として構成したゲームデザインです。

この記事を書きながら、「マッパー」と呼んでいるコースデザイナーのことを思い出しました。

試作段階では、コースにはマッパーさんの名前が付いて、試遊に回ってきたりしてたのですが、それぞれ個性があって敵キャラの配置や奈落の位置などドギツイ意地悪なコースをよく作るなぁと思いながら試遊してました。

敵キャラのデザインよりも、職人芸で奥深い仕事だなぁとマッパーさんのことを高く評価しているのですが、世間的には認知度も人気も今ひとつ。

マリオシリーズでは、マッパーの技量こそが根幹をなすレベルデザインの一つだと思います。マリオメーカーによって、多くに人にその部分を実感してもらえたのかもしれませんね。