残念ながら、バングラデシュの人質事件は、最悪の結果になってしましました。
報道において、以下の様な話が流れています。
また菅官房長官は、死亡が確認された7人の身元や死因などについて、「ご家族に対しては、外務省から連絡し、説明している。しかし、氏名等については、ご家族の了解をいただいていないので、コメントは控えさせていただきたい」と述べました。
ネット上では、菅官房長官のこの判断?について快哉を叫ぶ声が聞こえております。
本当にそれでよかったのでしょうか?
被害者報道において、日本の報道姿勢、メディアスクラムというのは目を覆いたくなるほど、過激な部分や下品な部分があったりします。
被害者の人物像掘り下げという名を借りた「卒業文集」漁り
悲しみが癒えない遺族への執拗な取材合戦
お涙頂戴の扇動的な再現ドラマ
被害者と遺族をエンタメ化してて見るに堪えない。
私もそう思います。
でも、このまま無くなった7名が一切わからないまま、時が経つことが本当にいいことなんでしょうか?
以後の文章は、ご遺族の了解が取れていることが前提として言いたいと思います。
しかるべき期間(たとえば、初七日法要や四十九日法要後)をおいた後に、被害者の公表があっても良いのではないかと思います。
もちろんマスコミ側からしたら、そんなに時間がたったら情報の旬が過ぎてるというでしょう。見向きもされないかもしれません。
しかし、JICAのプロジェクトに関わり発展途上国の問題解決・社会貢献の道半ばを、無法なテロリストに打ち砕かれた無念を報道することこそが、ジャーナリズムの意義ではないでしょうか。
被害者の方がどういう人生を経て、バングラデシュへ向かったのかを伝えても良いと思います。
バックグランドを伝えることで、故人を悼みテロリストへの怒りを共有できることになると思います。
例えば、数年前テロリストに襲撃されて無くなった日本人で、企業人として海外派遣された日本人被害者の方は、報道が抑制的だったため、あまり記憶に残っていません。
私たちの記憶に残ってるか否かは、被害者の人物像の報道があったり、自分との共感性があったかによって、差がでてきてしまうのだと思います
報道によって、日本国内に故人の意思を引き継ぐ人材を育むことこそが、テロリズムと戦う姿勢の現れではないでしょうか。
もし一切の報道がなければ、故人の意思や思いは途切れてしまいます。
多くの日本人が危険地帯と思いこみ、バングラデシュへの渡航を控えようと動きはじめたら・・・。
これこそが、テロリストの思惑通りです。
もちろん、現状のマスコミへの信頼が皆無であることが今回の快哉につながってることは、よく解っています。
それ以上に、【実名非公表】は無くなった方の無念や思いを共有できなくなる点を、みんなが見逃していることに、気づいて欲しいと思いました。
まさに、功罪。
いま、罪しかみえてないのではないでしょうか。
最後に、今回の被害者の方へ心よりご冥福をお祈りします。